石巻から遠くはなれて

石巻出身東京在住の私が震災後に思う事を書きます

『墓石は流されました』の意味とは

西光寺 本堂

西光寺 本堂

門脇地区には西光寺と稱法寺という寺がある。ウチは西光寺の檀家だ。同じ檀家の方から本堂は無事だったが墓石は流された、と知らされた。東京に両親が越してから、西光寺からも同様なお知らせが届き、やっぱり流されたんだと思った。

恥ずかしい話だが、私は『流された』を文字通り、流されて残っていない状態ととっさに思ってしまった。が、重たい墓石が1キロも離れた海まで流されて沈んでしまうことはないと思い直し、色々調べてみると、土砂やがれきに埋まってしまった墓石はボランティアや墓石業者の方々が清掃し、寺に戻すという作業をされていたことを知った。

7月29日に行ってみると、西光寺の墓地は、置けるところならどこにでも墓石が積まれている状況で、墓石を探せた檀家は元のところに戻してお墓の周りもきれいにされているようだった。また、積まれている墓石に名前と町名が書かれてあるビニールテープを貼って、所有が判るようにしているのもあった。積まれていて見えにくいとはいえ、ボランティアの方々がきれいに洗ってくれたから、誰の墓石か判るわけで、大変な作業に感謝しかない。

ひとまず、お墓のあったところに行ってみようと思ったものの、しばらく行ってない、目印だった木がなくなっている、などあり、判らず。墓石を探すにも全部を見るのは丸1日かかりそうで、今回はそういう状況だということを把握するだけで終えた。

実は、このお墓には私と母が知らない人の遺骨が埋葬されている。父の前妻とその子どもで、その子が生後すぐに亡くなり、後を追うようにその子の母親も亡くなった。そういう事情を知る親戚からは、今回行くにあたって、『あなたが色々考えることではないのだから、他の檀家の人の状況を聞いておいてあげるから、それから今後のことを考えた方がいい』、と言われ、そうしたのだが、そうはいっても、私の兄なんだよね。片付けられる人から自分で探して戻していくしかない、それが現状。お墓のことはちゃんと計画を立てないと駄目だね。

東京に帰ってから、もう少しちゃんと調べようと思い直したら、2つの記事に出会った。ひとつは、「河北新報ニュース 焦点/お盆迎える被災寺院/供養の場奪われ苦悩」。こちらに書いてあったが、お寺の再建やがれきの撤去には、憲法の政教分離規定で、国や自治体が助成金や補助金を出すことはできないそうだ。災害時には特例があってもいいと思うが。

また、「墓地の清掃ボランティア お彼岸に向けて オフィシャル・ブログ|ピースボート災害ボランティアセンター」に、西光寺での墓石の清掃活動の様子が詳しくあったが、墓地全体が、ヘドロや倒壊した家屋の破片に埋もれているので、本来通路であるところを探し出し、道をつくる、というところからの作業であったことが判った。暑い中での過酷な作業を知り、お疲れさまでした、有難うございましたという言葉しか出てこなかった。こういうことを知ったからには、ちゃんと向き合うしかない、と痛感した。

『墓石は流されました』の意味とは」への4件のコメント

  1. 宮本康幸
    2013/09/18

    こんにちは。私の父も石巻出身で、15歳ころまで門脇町、あるいは渡波に住んでいたようです。若くして亡くなりましたので、現在の当家の菩提寺は東京の港区にあります。私も父の年をゆうに越え、以前から石巻で先祖を供養したいと思っておりました。

    同じ浄土宗ではありますが、石巻の菩提寺が西光寺であるという確信はありません。しかし西光寺のご住職と当家の菩提寺のご住職が懇意と分かり、10月に妻と石巻を訪問することとしました。

    短い滞在ですが西光寺と近くの称法寺さんにお参りしてきます。例え菩提寺と確認できなくとも、当地で先祖と多くの犠牲者の霊を慰めたいと考えております。

    • toshikonomura
      2014/03/10

      宮本さん、コメントを頂いてからとても時間が経ってしまいました。お返事遅くなり申し訳ございません。10月のご訪問はご無事に済みましたでしょうか。

      西光寺と称法寺がある門脇地区は、小学校、住宅、商業施設が混在する、普通の街なみでした。それが、震災後はお墓ばかりが目につく場所になってしまいました。訪問されたのであれば、お気づきになったと思いますが。

      早いもので明日は震災後3年が経ちます。震災後両親を東京に迎えましたが、その後父が他界するなどあり、そのようなことも記録に残しておきたいと思っています。まあ、人生いろいろですが、その色々がそんなに嫌じゃなく、楽しんでいます。

      • 宮本康幸
        2014/03/11

        ご返信をありがとうございます。妻とともに10月8日に西光寺さんをまず訪問し、ご住職の樋口隆信師にお目にかかりました。途中までの道はナビにはあるものの、一面セイダカアワダチソウに覆われて「次の交差点を右に」と指示されてもその曲がり角が草に覆われて見えないほどでした。師からはさまざまな助言をいただきましたが、西光寺には宮本姓の檀家はないが、称法寺さんに7軒ほどの同姓の檀家があると伺い、そちらにもお邪魔しました。

        日暮れまで汗をかきながら妻と墓誌を確認して広い墓地内を歩きましたが、宮本姓の墓誌に刻まれた物故者の名の中には調べ上げた先祖の名はありませんでした。東京にいる長兄に電話して報告したところ、「それでよい。お前たちが遠く門脇まで供養に来てくれたことを先祖はきっと喜んでいるだろう」と言ってくれました。

        >震災後はお墓ばかりが目につく場所になってしまいました。

        確かに門脇地区で目立つのは大きなお寺の本堂(ただし称法寺さんの本堂はひどい被害でしたが)と墓石の倒れた墓地でした。

        翌日から三陸海岸を北上し、気仙沼、陸前高田でも慰霊をしましたが、途中通り過ぎる山中に点在する仮設住宅を見るたびに胸が痛みました。

        昨日のNHKニュースではその門脇地区の被災地域に新たに防潮堤を兼ねた道路を中心に街並みを作る計画があると知りました。被災者の方々にとってこれがいいこことなのか、疑問でもあります。

        お父様のご冥福を心からお祈りいたします。どうぞお元気で。

  2. toshikonomura
    2014/03/11

    宮本さん、たいへん丁寧なコメントを頂きましてありがとうございました。
    また、父のこともありがとうございます。

    コメントを読んで改めて気がつきましたが、門脇の訪問は初めてだったのですよね。草々が子どもの背丈くらいに茂っていて、お寺まで行くのは大変でしたね。

    ウチは父の死をきっかけに、西光寺のお墓を改葬し、東京に持ってきました。記事にもある父の前妻とその子ども(私の兄)、そして父は今同じところに納骨されています。震災後たびたび見ていた津波の夢もそれ以来見なくなりました。兄がようやく安心したのかもしれません。ちなみにこの改葬も西光寺さんの助言によるものだったのです。

    今年の2月下旬に若い友人が南三陸に引っ越しました。気仙沼にも高校の同級生が嫁いで住んでいるので、今年は私も石巻から北上して足を伸ばしてみようと思います。

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投稿日: 2012/08/09 投稿者:

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石巻出身、東京在住。母校、門脇小学校の校舎解体の方向を知り、今の内に見ておきたいと思うように。
仕事はIT系。エイズ孤児支援NGO・PLASボランティアスタッフとしてWebサイト構築などを担当。
ねこやま猫道として猫写真を撮影、「ねこまんが」を発表。